ぴょんすのくせに

ぴょんすのくせに、色々しゃべります。

イジメについて建設的に議論しよう

教育に関心があるものとして、

避けては通れない議論が

 

イジメ問題である

 

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教職関係の講義でも”イジメ”について、

ディスカッションなどを行ってきた。

 

 

そして”イジメ”が良くないことは、

多くの国民が自覚していることであろう。

 

 

しかし、事実、イジメ問題は後を絶たない。

 

 

なぜ、問題視されている社会現象が、

これ程までに解決されないのか。

 

 

たいそうなことではないが、

私自身が似たような経験を持つこともあり、

この度は建設的な”イジメ”解決策を

論じることとした。

 

 

 

 

1.SNSから垣間見えたイジメの構造

 

唐突であるが、

SNS上での出来事をご覧いただきたい。

 

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【前提説明】Twitter上の出来事

田畑さん | フォロワー15万人

梅木さん | フォロワー2万人

 

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田端さんツイート

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梅木さんツイート×2

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三者のアンケート

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【まとめ】

・梅木さんは不快だと明言している

・田端さんは以後もツイートを続けている

・傍観者は田端支持が多い

・フォロワーも田端さんが多い

 

ということだ。

 

 

*文脈上の判断は主観が介在するので、

 この度は行わないものとします。

 

僕が知っている”イジメ”も同じだった。

 

・被害者は不快感情を感じている

・加害者の方がフォロワーが多い

・声を上げても助け舟は現れない

 

という点に集約されている。

 

ここでのポイントは、仲間の数が、

 

加害者>被害者

 

になるということだ。

 

なぜか世間的には批判されている

加害者の方が味方が多いのである。

 

 

言い方を変えると、

多数派が少数派を攻撃する

(被害者が攻撃されたと感じている)

という構造が生まれるわけである。

 

 

そして、田端さんにも発言の権利はあるし、

田端さんが悪人と断定すること到底不可だ。

 

 

これこそが”イジメ”の構造だと思っている。

 

加害者の悪を定義するのが困難なのである。

 

 

2.イジメはなくならない

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ではなぜ”イジメ”は生まれるのか。

 

一言で集約するならば、

 

人類は自然社会の競争というシステムで

長年生存してきたからである。

 

 

分かりやすく咀嚼すると、

 

人には誰しも勝ちたい目立ちたい

という欲求があって然るべきだ

 

ということである。

 

勿論、そう思わない人もいるだろう。

しかし、イジメの現場の多くが学校だ。

 

中高生が

 

・弱いものをイジメて優越感に浸りたい

・イジメの対象を避けて上の立場にいたい

・上手くいかない時に力で制圧したい

 

という感情を抱くのは自然なことであろう。

 

大学生や社会人でも

 

・盛り上がる話題の1つがイジリであること

・芸人の体を張った芸を面白いと感じること

・自分よりモテる人に嫉妬すること

 

が多数派であることからも無理はない。

 

 

そして、そういう

 

・自分より下な人を見ると楽しい

・自分より上の人を見ると嫉妬する

・競争に勝ちたい

 

という人間のエゴによって、

これ程までに人類が生き延び、

経済が発展してきたのである。

 

 

そして、社会主義の構造は、

1人でもエゴを持つと成り立たない。

 

全員の給料が平等に分配されると、

より力を持っている人は納得がいかず、

力を誇示して反発を起こす。

 

 

学校でも同じだ。学校に1人でも、

「体格に優れ力を誇示したい」

というエゴを持った生徒がいれば、

周りも戦わなければ平和は守られない。

 

 

そして、そのようなエゴを持った人の

生き方を否定する権利も第三者にはない。

 

 

つまり、資本主義の競争社会において、

全員がエゴを持たないという構造は、

現実的に不可能だということである。

 

 

序にそんな世界があったとしたら、

それはそれで多様性がなく、

つまらないなとも思う。

 

 

3.建設的な議論をしよう

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では、この現実を認めたうえで、

”イジメ”への向き合い方を考えていこう。

 

ここまで”イジメ”がなくならないのは、

ご理解いただけたと思う。

 

 

そうなったとき、被害者のできることは、

 

逃げる

 

しかない。

 

 

前述の通り、イジメとは、

強者or多数派が弱者or少数派

を一方的に攻撃する営みだ。

 

 

弱者or少数派がイジメを鎮圧するのは、

ほぼ不可能なのである。

 

 

今では、SNSが発達し、

社会がどんどん狭くなっている。

 

 

別に学校やスクールカースト

という小さい経済圏で戦う必要はない。

 

 

イジメの被害者でも生きられる

環境を構築し、そこで生きればいい。

 

 

今後はそういうコミュニティが

どんどん増えていくように思うし、

本ブログでもそういうコミュニティの

形成を推奨or応援したい。

 

 

 

4.戦わず、戦え、そして勝て。

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本記事の本題はココに詰まっている。

 

これまでのまとめとして、

 

・イジメは構造的になくならない

・イジメが嫌なら逃げるしかない

 

とまとめてきたが、こんな

妥協案でブログを締めるつもりは毛頭ない。

 

 

なぜならば、日本が競争社会である以上、

逃げるだけでは問題は解決しないからだ。

 

 

例えば、いじめられっ子が

攻撃的であったり、giveできなかったり

するのならば、逃げた先でも苦労するだろう。

 

 

または、一生劣等感を抱えて

生きていくことになるだろう。

 

 

私は、そんな社会であってほしくないと、

生まれつきの環境や能力で

人生が決まって欲しくないと強く思っている。

 

 

4-1.環境が変われば定義が変わる

 

先ほどイジメについて

強者or多数派が弱者or少数派

を攻撃する場合が多いと述べた。

 

 

しかし、環境が変われば

その構造は崩壊する。

 

 

大学受験の社会では、

喧嘩が強さでなく偏差値が高さが

強者の基準になる。

 

イジメられっ子が集まるコミュニティでは、

イジメ反対派が多数派になる。

 

就活の世界ではそもそも希少性が問われ、

少数派が勝つことが多い。

 

 

つまり、学校という

 

・体格の大きさや喧嘩の強さ

・似た趣向を持つ友人の多さ

・スポーツの上手さ

 

が評価軸になり、敗れたものが

攻撃されがちな不利なコミュニティで

生きていく必要はないのである。

 

 

自分に合うコミュニティで

有利に戦いを進めていけばいいのだ。

 

4-2.ポジションを取れ、批評家になるな

 

落合陽一さんの名言であり、

私の好きな言葉である。

 

 

イジメられっ子はイジメっ子を批判しても、

イジメを鎮圧されることは難しいし、

幸福を勝ち取ることも難しい。

 

 

この件に関しては、

野球チームのスタメンに漏れた選手が

努力してきたスタメンを批判することくらい

不毛なことだと思っている。

 

 

日本ハム中島卓也という選手がいる

 

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彼は体格やパワーに恵まれず、

人生で柵越えホームランを打ったことがない。

 

 

日本ハムの中田選手や清宮選手と比較して、

パワーでは弱者というのは明白である。

 

 

それでもファール打ちと守備という武器を

活かしてポジションを勝ち取っている。

 

 

イジメられっ子も同様だ。

 

たまたま学校というフィールドで、

ポジションを取れずとも悲観することはない。

 

 

コンプレックスは最大の原動力。

 

もし中学生からプログラミングを

学び続ければ、その分野において、

圧倒的な力を得るかもしれない。

 

 

中学生から人の痛みに気付き、

他人のために尽くすことを覚えたら、

社会で絶大な武器になるかもしれない。

 

 

いづれも現状に満足し、

威張っているイジメっ子には

到底できる努力量ではない。

 

 

これからは単純労働がAIに代替され、

多様性が否が応でも求められる時代だ。

 

 

真っ向勝負せず、勝てるフィールドを見つけ、

そのフィールドで勝てばよいのである。

 

 

こうしてイジメられっ子が力を発揮すれば、

ポジションを失ったイジメっ子も自分を

変えざるを得ない。

 

 

自分の強みを見つけるには、

以下の本が役に立つだろう。

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そうやって多様性が認められ、

イジメがなくなっていけばいい。

 

そう考えている。

 

4-3.教育のあるべき姿

 

理想論を語ったが、

現実問題イジメられっ子が

こうして自立できる程単純ではない。

 

 

それだからこそ、大人と社会が

大切な若者を守らなければならない。

 

 

必要なのは、

 

・イジメ問題を構造的に解決すること

・道徳で人の思いやりについて説くこと

 

ではなく

 

イジメという社会現象に対して、

誰もが自分の意志で行動できる社会だ。

 

 

・多くの選択肢を用意できる

・多様な人間の在り方を提示できる

・逆境の際に心に寄り添える存在がいる

 

という状況を社会全体で作っていく。

そういう動きが必要になってくると思う。

 

ここでも、

 

・現場で生徒に選択肢を伝える人

・コミュニティを作る人

・成長や仕事について科学する人

・1対1で生徒の心に寄り添う人

 

様々な課題意識を持つ人が、

ポジションを取っての共同が望まれる。

 

 

私もスクールカーストが最底辺だったから。

真っ向勝負しても勝てなかったから。

常にポジションを考える癖ができて、

今も”イジメ”や”教育”について論じている。

 

 

批評家になるな、ポジションを取れ。

 

 

本日もありがとうございました!